「検地絵図」(高山三千彦文書)
はじめに
毛利輝元の「惣国検地」
福島正則の「慶長検地」
浅野光晟の「浅野地詰」
 天保5年(1834)11月に松平丹波守御預所信州筑摩郡今井村(松本藩領)と内藤大和守領内信州筑摩郡吉見村・小野沢村・針尾村との間に用水新堰をめぐり境界争論があり、結局幕府評定所(最高司法機関)に持ち込まれ「地押検地」となり、幕府から豊田藤之進・高柳小三郎・田中新五兵衛の三人が検地奉行として派遣されて検地が行われた。この時の検地仕様が「検地仕法御請證文」として地元に残っているが(高山三千彦文書)、この中にこの検地に関する上記「検地絵図」も収められている。
北島正元編『土地制度史U』体系日本史叢書7(1992年、山川出版社)折込み写真(口絵)及び注釈71頁
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